台風15号上陸時に自宅勤務した人は5%??テレワーク活用されずは、日本人サラリーマンの実体そのものだ。
私も、その日は出社した。それは、会社にテレワークの仕組みがなく、転職したばかりで有給休暇もなかったからである。有給休暇がある今なら、たぶん、休みにしていた。定年後の転職組なので、周りの目を気にすることがなくなってしまったからだ。立場上とか、そんな要素を除けば、ヘトヘトになって出社したって、仕事の効率は上がらない。自宅で仕事をするか、休みにするかの2択だ。
でも、コロナウイルスで、テレワークが増えたのか、朝夕の列車は明らかに人が少なくなっている。今後、どう影響するのだろう?
カテゴリー: 日記・コラム・つぶやき
コロナウイルス:正しく恐れる
コロナウイルスとの対応は、マスコミでの騒ぎ方、一部企業の対応、転売業者の横行などにうんざりしている。でも、甘く見ていてはいけないとも思っている。あるメルマガで、正しく恐れる、という表現があった。確かにこれが、正しい態度かもしれない。
いい加減な情報に惑わされず(これが一番難しいが)、麻痺せず(期間が長引くと麻痺しやすくなる)、恐れるべきことを恐れる態度が重要かもしれない。
大学入試改革:家庭の経済格差と教育格差
大学入試改革「主体性等評価」の意味不明、平等はどこへ?を読んで、文科省のバカ官僚が教育劣化につながるようなことをやっているのかとあきれた。著者が指摘しているのは、文科省のやろうとしていることが、結局、家庭の経済格差と教育格差との関係をより深めることになるというのである。
自分が貧しい家庭に生まれ、一発勝負の大学入試、貧困家庭に対する授業料免除と奨学金のおかげで、何とか修士課程まで行くことができたので、こういう話を聞くと、頭に血が上る。
生徒会や委員会活動、学校行事への参加、部活動、学校以外の活動(ボランティアなど)、留学・海外経験、表彰・顕彰、資格取得、検定合格などの項目が入試に影響するのだそうだ。自分の例で言うと、部活動などをするような余裕もなかった。高校時代からちょっとしたバイトをしていた。高校に行くためである。留学・海外経験など、どこの世界だろう。
官僚様、頼むから自分たちの出世のために、余計な政策を考えて、貧しいけど学習意欲のある若者を貧しいからといって切り捨てることになるようなことだけは、やらないで欲しい。
蟹工船からは勉強では脱出できない
下請け技術者が乗る「現代の蟹工船」は必ず沈む、辛い仕事を捨てDX人材になれという記事を読んで、違和感を持った。下請けを現代の蟹工船といいながら、そこから脱出するには、勉強だというのだ。でも、勉強では脱出できないだろう。
実績のある技術者は、転職という脱出方法がある。でも、実績がないと難しい。勉強では、実績はつかない。では、どうすれば、実績を積めるのだろう?下請け企業での実績とは何なんだろう?難しい話である。
弁当販売員からテレワークの有無を聞かれた:いろんなところに影響あるんだなあ
昼食は会社の前に売りにくる弁当屋から購入している。その販売員から、テレワークやりますか?と聞かれた。確かに、全面的にテレワークを実施している会社が多いビルの前で弁当を売っても売り上げにはならない。こんなところにも、影響があるんだなあ、と実感した。
製造業のオフィス:工場に右に倣えが多い
昼休みが短く室内は薄暗い、レガシー製造業型のIT職場は活力が生まれないという記事には笑ってしまった。まるで、前職の大手電機メーカーのオフィスだったからだ。
そんな時代後れのオフィスも、周囲の変化に負けて、変化させようという圧力がかかってくる。例によって、大企業は形から入るので、一気に斬新なオフィスになってしまう。でも、仕事というのは、そんなに一気に変化しない。今までは、時代後れすぎたことが、斬新すぎてやってられない、というようになってしまう。しかも、金をかける部分が、見栄えなので、やっかいである。
私自身は、知的作業におけるオフィスで最も重要なのは、個人当たりのスペースと椅子だと思う。特に、いい椅子かどうかは、すごく重要だ。そして、いい椅子は、思いっきり高い。見栄えの方に金をかけすぎて、椅子の質は追いやられてしまう。しかも、空間はそれほど広げられないので、1人あたりの空間もそんなに広がらない。
企画ならノートPCだけで仕事できるかもしれない。でも、IT技術者となると、やはり大きなディスプレイを2つは欲しい。キーボードも重要だ。
仕事の場と同じくらい重要なのは、食だ。おいしい社内食堂というのは、シリコンバレーのIT企業の特色だ。でも、それを真似しようとするレガシー製造業は聞いたことがない。見栄えのいいオフィスがあったって、昼食がまずければ、うんざりである。
とうとう花粉症のシーズンがやってきた:早めにマスクは確保したが
天気予報の花粉予想で、とうという「多い」という予報が出だした。花粉症の人間にとって憂鬱なシーズンの始まりである。
今年は、新型肺炎の影響で、マスクが品不足だという。私自身は、花粉症で、マスクがないと通勤に差し支えるので、新型肺炎のニュースがあったときに、早いめに、花粉症を乗り切る分だけのマスクは確保しておいた。でも、出遅れて替えなかった人は大変だろうなあと思う。新型肺炎の予防にマスクがどれだけ役に立つかは諸説ある。だが、花粉症にマスクは必須である。マスクも処方箋があれば、優先的に買えるとかの処置もできないものだろうか、と思ってしまう。
中国のマスク製造:本業外でも必要なら作る-すごいなあ
中国の技術メーカー700社がマスク生産へというニュースは、中国のすごさを感じさせてくれる。自社の生産ラインを維持するためにマスクが不足している。普通なら、どうすれば購入できるか、しか思い浮かばない。
でも中国の企業は、無いなら作ろう、ということになる。自社でマスクを作ったことがなくても、である。この柔軟さと行動力は、さすが中国である。ちょっと、日本では、真似できないだろうなあ。
霞ヶ関のBPR:組織をリストラするのが先だと思うけど
霞ヶ関周辺で「BPR」がリバイバルのなぜという記事を読んで思ったのは、本来の意味でのBPRをやりたいなら、まず組織をリストラすべきだ、ということである。無駄な仕事を見つけるには、そんな無駄な仕事ができないくらい人を減らすしかない。コスト意識のない人たちでは、絶対に、自分でBPRなどできない。BPR検討会を作って、余分な資料をコンサル会社に作らせて、という無駄な金が出て行き、国の借金に寄与するんだろう。
日本語教育の重要性:人は言葉で理解する
9時10分前を理解できない若手を生んだ日本語軽視のツケに紹介されるエピソードを読んでげっそりした。長くなるがその一部を引用する。
「部下に『そのタスクは結構、骨が折れるから覚悟しておけよ』って言ったら、『え? 肉体労働なんですか?』って返された。どうやら骨が折れるを骨折と間違えたようだ」
「社長に褒められた部下に、『現状に胡座(あぐら)をかいてると、後輩に追い越されるぞ!』って活を入れたらキョトンとされた。あぐらをかいて座ることだと思ったみたいです」
「送られてきたメールが一切改行されてないので『読みづらいから、項目ごとに改行しろ』と言ったら、『改行って何ですか?』と言われてあぜんとした」
「営業先で『お手やわらかにお願いしますよ』と言われ、会社に帰る途中で『あの人、やわらかいんですね。どうしたらやわらかくなるんですか?』と真顔で聞かれた」
もっと、いろんなエピソードが紹介されている。実話とは信じられないが、実話のようだ。基礎教育を怠ってきたツケがまわっている。
語彙力のない人間に、新しい発想はできない。人間は、言葉で理解する動物だからだ。考えることのできる範囲は語彙の集合とほぼ重なるのではないか?技術者の場合、その語彙の中に、専門分野の語彙だけでなく、数学という語彙も入ってくる。言葉だけでは理解できないことも、数式でなら理解できることも多い。図的能力も語彙の一種だろう。
結局、教育というのは、人の語彙を充実させることが大きな目標なのではないか?その基礎中の基礎は、当然、日本語だ。
昔、ある著名な情報工学の権威が、プルグラミング教育なんかやる時間があるなら、国語教育をしっかりしろ、と言っていたのを思い出す。英語教育とか、いろんなことを、小学生のうちに始めさせてなにがいいのだろうか?
国語と算数、この2つが基本である。少なくとも、組み込み技術者はそうだ。仕様書を日本語で書き、回路のかなりの部分はオームの法則で計算する。若い頃に勉強してきたことこそが、技術者としての基礎能力だと思う。