ミステリの女王アガサ・クリスティーの作品を、観光、田園、都市という観点と、アガサ・クリスティーの生涯の観点とから整理・解説した本。
 作品そのものについても、著者の評価が書かれていて、アガサ・クリスティーの作品紹介にもなっている。
 私は、アガサ・クリスティーが好きだが、ポアロもの以外はほとんど読んでいない。この本を読んで、マープルものも読んでみようか、という気にさせられた。スパイものに対する評価が低いが、スパイものを1作だけ読んだことがあるが、これには同感。
 英国の当時の情勢を知って読むと、さらに面白く読めそうだ。再読に耐えるミステリーというのは、それほどないが、アガサ・クリスティーの作品はその1つであり、本書で得た背景知識で、再読してみようかと思っている。

 前に感想を書いた鋼鉄都市の続編。今度の舞台は地球ではなく、惑星ソラリア。高度に発達したロボット社会で、人は家族単位ではなく、個人単位で生活している。映像によるコンタクト手段が発達しているため、人と人とが実際に会うことはほとんどなく、そのため実際に人と会うことが忌避されているという世界だ。この世界で、殺人事件が発生する。ソラリアには警察機関がないため、主人公が呼ばれ、捜査を開始する。
 ロボット3原則をベースにしたSFミステリなのだが、謎解きとソラリアの社会描写とがうまくマッチングしていて、心地よく小説の世界に浸れる。

宇宙気流:アシモフお得意のミステリじたてのSF

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 古いSFである。一部の貴族が貴重な資源を独占するために原住民に対し圧政を強いている。そんな背景の中で、この構造をゆるがすような話が進行する。
 私が初めて本書を読んだ高校生時代には、主人公が図書館で本を探すと、なぜか借りられない。それが、二度続いて、何かおかしいと逃げ出す、というエピソードに続く逃亡劇をひやひやしながら読んだことを思い出す。今回、再読しても、その面白さは色あせない。
 眉村卓が、この作品が、自作の「消滅の光輪」の発想のヒントとなった、と語っている。「消滅の光輪」を読んだ後で、本書を読み返すと、なるほどなあ、と思う。

鋼鉄都市:ロボットのダニールが初登場した本

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 かつて、アシモフのSFには、2つの系統があった。ロボット3原則で名高いロボットものと、銀河帝国シリーズとである。後に、この2つは、統合されることになる。その中心になるのがロボットのダニールである。
 このダニールが初登場するのが、本書だ。読むのは3度目になるのだが、再読に耐えるSFミステリーである。それは、誰が犯人なのかという謎解きだけでなく、人間とロボットの関係、地球と宇宙との関係、限られた資源の中での地球の生活など、細部にわたって作られた物語の設定に入り込めるというところにあるのだろう。

 芥川賞受賞作でなければ、決して出会わなかったであろう本である。公園で死んでいる小鳥を見て、他の子どもたちのように悲しむのではなく、食べようと言った主人公の子供時代のエピソードが鮮明である。
 ちょっと変わった子供が、成長するにつれ周囲に隠れこむことを覚えていく。そして、コンビニ店員という、隠れこむ場所を見つける。
 これって、なぜかよくわかる。私も、会社という場に隠れこんでいるからだ。

 ハーバード大学で日本史を教えている先生にインタビューした本。日本以外の国の、まともな大学で、日本史がどう教えられているのか、ということを知ることができる。我々の知らないことも多い。また、日本人というフィルタを通した日本史とは異なる見方も面白い。
 でも、この本を読んで感心したのは、日本史そのものではなく、教える側のスタンスである。リーダーを育成するというスタンスで教えられていることがよくわかる。ハーバードという大学は、リーダーを育成するための大学であり、その方針に従った内容なのだなあ、と感心したのだ。
 米国史とか経営学で、リーダー育成を意識するのはわかるのだが、日本史のようなマイナーな教科でも、リーダー育成である。欧米は、実は日本よりも学歴社会だという意味の一端が分かった気がする。

 ブラッドベリの古典SFである。火星に火星人がいて、そこへ地球人がやってきて、というお話である。舞台が火星で、登場人物がかわりながら、火星での物語が継続するというオムニバス形式の小説である。
 私は、オムニバスという形式はあまり好きではない。昔、読んだときは、途中で挫折した。でも、この小説には、独特の味があり、なんとなくひきつけられながら、今度は読了してしまった。現代文明に対する批判もたっぷりなのだが、そんなことよりも、小説としての味が抜群なのである。

深く考える力

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巻頭の書き下ろしが素晴らしい。

将棋の大山名人の大局観のエピソードなど何度も読んでいるが、何度でも弧こりに響く。

 

永年の体験と厳しい修練を通してしか
掴むことのできない深い「知恵」を、
単なる「知識」として学んだだけで、
その「智恵」を身につけたと思い込んでしまう。

 

「結果」にすぎないものを、
「目的」にしてしまう。

 

私も本書の感想で、本書から抜き出しあ文章で、何か語れると思う間違いをしてしまっている。結局、引用では語り切れない。

 

 入学、就職、誰もが通る道である。そして、その道は、その人にとっては、全て初体験である。だから定年も初体験なのだ。
 だが、今までの初体験は、全て、ある集団に所属するという初体験であったが、定年は、集団から離脱するという初体験であるとことが異なる、という指摘は、今までの定年本にはない指摘であった。なるようにしかならないし、という消極的楽観論者である私が、なぜ定年を不安に思っていたのか、初めてわかった気がする。
 お金も心配だし、健康も心配だ。だが、一番心配なのは、今まで当然のこととして所属してきた集団に、所属しなくていいという初体験が不安なのである。そして、新しい集団への加入は、今までの入学、就職という社会上の仕組みでなく、自分で動かないと加入できない。何の集団にも所属していない自分を想像できないところが不安なのである。
 不安の元がわかっただけでも、この本を読んだかいがあった。まあ、なるようにしかならないか。

 著者の「時と人」シリーズの第2弾。冒頭から、二人称で小説は始まる。正直言って、ちょっと読みづらい。途中で放り出さずに読み進めることができたのは、著者の筆力のなせる力だろう。
そして、読み進めるにつれて、この二人称表現に意味があったことがわかる。それが、どういう意味なのかは、是非とも本書を読んで欲しい。
 小説の面白さとしては、第1弾のスキップの方が、はるかに上であると思うが・・・。