生きるだけで精一杯になる

 いきなり猛暑になって、かなり疲れる。最近は、在宅勤務が多くなっているのだが、先週の金曜日は出勤だった。猛暑の中、出勤するのは、やはりつらい。
 毎日出勤していた時は、通勤の距離はいつも通りで、猛暑だけが追加されていた。でも、在宅に慣れてくると、猛暑+通勤がからだにこたえる。なんだか、生きるだけで精一杯という感じで、昨日は、1日中、疲れていた。まあ、ぐっすり寝たおかげで、今日は少し復活した。やはり疲れには、寝ることが一番だ。

私の最も多いC言語のミス:case忘れ

 あー、またやってしまった。1時間近くデバッグしていたら、結局、caseを忘れていた。switch分の最初のコーディングの時はいいのだが、後で、caseを追加するときに、caseというキーワードを入れるのを忘れるのだ。でもコンパイラはエラーを吐かない。なぜなら、case文でcaseを忘れると、goto文のラベルと解釈されるからだ。自分でも嫌になる。

大企業の若手技術者が手配師になるのは仕方ないのかもしれない

 若手技術者の退職に悩むトヨタ、在宅勤務で情熱は生まれるかを読んで、少し暗い気持ちになった。私は、技術者は、自分でやった技術しか身につかないと信じている。でも、実際には、そんな時間はなく、手配師になるしかないのが実体のようだ。私が経験してきた組み込み技術で、小規模な開発でしかなかったから、そんな贅沢が言えたのかもしれない。
 まあ、おかげで、大企業を定年退職して、小さな会社で、組み込み技術者として、基板を設計し、組み込みソフトウエアを実装できている。マネージャーとしての雑務をやらなくていいので、本当に快適である。
 技術者というのは、本当に面白い仕事だ。手配師になるくらいなら、大企業を転職しようという気持ちもわかる。せめて、10年だけでも、現場で自分でやれるような環境にできないものだろうか?

最初に学ぶプログラミング言語:私はアセンブラだった

 最初に学ぶのに最適なプログラミング言語が存在しない理由という記事を読んで、いろいろと思うことがあった。この著者は、PL/1が最初の言語だったようだ。私は、モトローラの6800のアセンブラだった。とはいっても、同時にFORTRAN、BASICもさわっていた。FORTRANは、大学の実習で、BASICはPC8001で、である。でも、最初のプログラミング言語は6800だった。そのおかげで、CPUとは何かということを知ることができた。
 私にとっては、そのことが、結局は、今でも組み込みをやっている基礎になっている。最初にLISPを学んだら、今では、AI技術者になっていたかもしれない。
 プログラミング言語は、所詮は道具である。でも、その道具をどう揃えるのか、というのは、結構重要だ。そして、最初にさわった道具の影響も結構重要だと思う。