大阪ことば学:大阪弁のニュアンスも含め説明

 大阪弁に関する本は多い。だが、その大半は、面白おかしく大阪弁を紹介している本がほとんどである。
 本書は、それらの本とは一線を画し、豊富な大阪弁の実例をもとに、大阪弁の表現に関して、説明している。
 この説明が中途半端ではない。表現のバリエーション、その表現のニュアンスを、標準語で解説している。大阪弁を使っている人間にとっても、その解説は、本当にうなづけるものなのである。

深く考える力

巻頭の書き下ろしが素晴らしい。

将棋の大山名人の大局観のエピソードなど何度も読んでいるが、何度でも弧こりに響く。

 

永年の体験と厳しい修練を通してしか
掴むことのできない深い「知恵」を、
単なる「知識」として学んだだけで、
その「智恵」を身につけたと思い込んでしまう。

 

「結果」にすぎないものを、
「目的」にしてしまう。

 

私も本書の感想で、本書から抜き出しあ文章で、何か語れると思う間違いをしてしまっている。結局、引用では語り切れない。

 

定年バカ:定年とは集団から外れる初経験-なるようにしかならないだろうけど

 入学、就職、誰もが通る道である。そして、その道は、その人にとっては、全て初体験である。だから定年も初体験なのだ。
 だが、今までの初体験は、全て、ある集団に所属するという初体験であったが、定年は、集団から離脱するという初体験であるとことが異なる、という指摘は、今までの定年本にはない指摘であった。なるようにしかならないし、という消極的楽観論者である私が、なぜ定年を不安に思っていたのか、初めてわかった気がする。
 お金も心配だし、健康も心配だ。だが、一番心配なのは、今まで当然のこととして所属してきた集団に、所属しなくていいという初体験が不安なのである。そして、新しい集団への加入は、今までの入学、就職という社会上の仕組みでなく、自分で動かないと加入できない。何の集団にも所属していない自分を想像できないところが不安なのである。
 不安の元がわかっただけでも、この本を読んだかいがあった。まあ、なるようにしかならないか。

地下道の鳩:ジョン・ル・カレのファンなのだが英国の歴史を知らないのでよくわからないことが多い

 ジョン・ル・カレの回想録である。自叙伝ではない。いろんなエピソードが、順不同に出てくる。
 小説のモデルやストーリーのヒントがこんなところにあるのだ、というのは、読者にとって興味深い。ただ、私のように英国の歴史に不慣れな人間には、出てくる登場人物の名前からピンとこないことも多く、単なる日本人の読者としては、少し読むのがつらいところも多い。

60歳からの人生を楽しむ技術:95歳まで生きよう

 渡部昇一先生曰く「95歳まで生きた人は苦しまないで死ねるようだ。だから自分も95歳まで生きる」。私も、そのお言葉に従って、95歳まで生きようと思う。
 まあ、実際には、寿命は人はコントロールできない。でも、95歳まで生きようと思うと、60歳からだと、35年もある。35年といえば、大卒の人の会社人生の大半である。大変な長さだ。それを生きるためのヒントが、この本にある。

「おめでたい人」の思考は現実化する:なるほどと思うところも

 和田秀樹の本は、同じような内容が多く、何冊か続けて読んでいくと飽きてくる。久しぶりに読んでみたら、また少し違う視点があって面白かった。なるほど、と思える部分も半分くらいある。
 実行に移す前から過度に悲観的になるな、というアドバイスは素直に受け取っておきたい。

青春の読書:著者の読書論の集大成的著作

 本書に出てくる本とそのエピソードのかなりの部分は、今までの著作の中でも触れられている。それでも中身にひきつけられるのは、本の出会いと著者の若き日の成長とが同期しているからである。
 あの知性がどのように形成されていったか、その知性の形成に関わった本は何なのか、ということがつぶさにわかるのである。
 そういう意味では、著者の読書論の集大成的著作と呼べるかもしれない。

おじいさんになったね:おじいさんの自覚のないおじいさんの面白い話

 冒頭、赤瀬川原平との思い出からはじまる。自分も、あの頃のあの人よりも年を取ってしまったんだ、という思いである。でも、客観的には、おじいさんでありながら、気分的にはおじいさんでない著者をめぐる面白い話が堪能できる。
 ところどころで出てくるツマとの掛け合いがまた絶妙である。特に、はじめて聞く人名や品名で、すぐには発音でいないものに出会うとスラスラ発音できるまで練習するとい習慣のエピソードなど思わず笑ってしまった。

乱読のセレンディピティ:読書と考えるということの関係

 思考の整理学で有名な著者のエッセイである。例によって、乱読というキーワードをもとに、著者が考えてきたいろいろな経験を語る。読むべし、読まれるべからず、というように、あくまで考えることを中心とした読書論である。
 ただ、本署の中で面白いのは、「英語青年」といいう雑誌の編集を任されたエピソードである。どのようにして読者を得るか、というところから、エディターシップ論を発想したという読書とはあまり関係のないエピソードだったりする。

ひとりぼっちを笑うな:ひとりでいることが好きな人に

 私は技術者である。職業柄、ひとりで仕事をすることも多い。というか、もともと、ひとりで黙々と何かをやることが好きだから、技術者という職についたのだとも言える。
 最近の、つながり全盛時代の中で、ひとりで何かをすることが、孤独な人間のすることのように受け止められる風潮がある。そんな中で出てきたこの本である。この本の意味はそこにあるのだろう。内容は、どこまで共感できるかというと、やはり私とは異なるタイプの人である。でも、いろんなタイプの人が、ひとりでいることが好きなのだということを認識させてくれる。