世界は四大文明でできている:圧縮され整理された知識を学べる

 リーダー向のためのリベラルアーツ的な宣伝にしているようだが、誰もが学ぶべき教養という位置づけで十分なのではないだろうか?四大文明のコアは宗教である、ということ自体が、日本人には理解できないところがある。しかも、その中に仏教は入っていない。なぜなら人数が多くないからだ。
 宗教としては、本当は、多神教の方が多いが、数少ない一神教をコアにした文明の人数が圧倒的なので、世界は一神教的な価値観で動いているというのも、目に鱗である。しかも、その一神教の神様は実は同じ神様で、それぞれの宗教が対立しているのは、神様が違うからではなく、その神様の解釈や扱いが違うが故の対立である、とか・・・。
 まあ、識者から見れば、いろんな指摘はあるだろう。でも、世界の見方として、こうした四捨五入した大局的な視点は初めてである。

役員室午後三時:ワンマン経営者の孤独

 大企業のワンマン経営者と、そのワンマン経営者を追いやり自分が社長になった部下の物語。会社のためを思いひたすら頑張るワンマン経営者。だが、その頑張りは時代に合わず取り残されていく。徐々に、会社のためという口実で自己保身的行動を取るようになり、結果的には、会社を追われる。
 そのワンマン経営者の部下として、新しい時代の経営者として、自分の上司を追い出し、社長になる若い副主人公。2人の行動が経済小説として、緊張感のある小説になっている。当時の時代背景など知らなくても読める小説である。
 城山三郎の小説の常として、この小説にもモデルがいる。カネボウである。新しい時代を切り開くこととなった副主人公だが、実際のモデルの人物は、長く会社に君臨し、あの粉飾決算の元凶を作ることになる。結果的には、自分が追い出したワンマン経営者よりも会社にダメージを与えることになる。皮肉なことだ。

文庫本解説ワンダーランド:題材の新鮮さとそれを調理する技の冴え

 文庫本には大抵の場合、解説が載っている。翻訳本の場合は、翻訳者のあとがきだ。私は、本編を読む前に、解説やあとがきを読むタイプである。
 でも、本書のように、その解説が、批評の対象になるとまでは思わなかった。本書の内容紹介にあるように、オマケだからだ。だが、オマケそのものの魅力というものも確かにある。オマケを題材にするという着想の時点で、題材としては、類書にはないものとなった。
 だが、いくら題材がよくても、この題材は、調理するのが難しい題材だ。それをさばく著者のあざやかな技には驚くしなかない。
 実は今回が、斎藤美奈子という著者の本を読むのが初めてである。これだけの熟達の技のある人の本を今まで読んだことがなかった。残念であると同時に、今から読めるという楽しさもある。絶版になっている本も多いが、図書館でなら、かなりの本を貯蔵しているようなので、読んでみたい。