仁義なき宅配:現場は大変だなあ、やっぱり

 現場に入り込んで取材をするということで、現場の大変さがよくわかる。本社の人たちが考えた戦略を実際に現場に持っていくと、問題が生じる。それを何とかするのは、結局、現場なのである。しかも、その人たちの給料は安い。この著者が着目する職場は常にそうだった。
 どんな職種にもホワイトカラーとブルーカラーの格差問題は生じる。でも、その歪みが大きすぎないか、という疑問がある。

amazon帝国:同僚が倒れているのに救急車を呼べない職場には勤めたくない-たぶん同じ人間と思ってないんだろうな

 仕事の捉え方、給与水準、待遇、などの面では、いろんなとらえかたがあるだろう。一方的に、amazonという会社は、とは思わない。
 でも、会社の倉庫で人が倒れていて、救急車を呼ぶのに、上位者へ情報を回していって、実際に救急車が来た時には手遅れになるという実態は寒々とする。アルバイトは、携帯電話を持って入れない。でも現場のリーダーは、仕事で携帯電話を持っている。そのリーダーは、救急車をすぐに呼べたはずなのに、権限外ということで、上位者へ連絡する。その上位者も、その上位者へ連絡する。という連絡リレーのあげく、救急車の到着が遅れる。しかも、こういう事態を改めることなく、何度も繰り返し、事態そのものを隠蔽している、という事実だけは許せない。人の命だよ、どうして、そんなことになるんだろう。結局は、上位者は、アルバイトを人とみていないのだろう。少なくとも、こんな会社には勤めたくない。

予想どおりに不合理:人間に合理性を期待するのは難しい

 かなり話題になった本をいまさら読んでみた。長年生きていると、本書の話に意外性はなく、そりゃそうだろう、というような話ばかりだ。でも、それが不合理だと言われるまで、不合理とは気づかなかった。
 なるほどねえ。長年生きてきたということは、長年不合理なことをしてしたということでもあるんだろう。でも、そのそも合理的な行動しかしないのなら、ロボットと同じだ。不合理万歳である。

世界は四大文明でできている:圧縮され整理された知識を学べる

 リーダー向のためのリベラルアーツ的な宣伝にしているようだが、誰もが学ぶべき教養という位置づけで十分なのではないだろうか?四大文明のコアは宗教である、ということ自体が、日本人には理解できないところがある。しかも、その中に仏教は入っていない。なぜなら人数が多くないからだ。
 宗教としては、本当は、多神教の方が多いが、数少ない一神教をコアにした文明の人数が圧倒的なので、世界は一神教的な価値観で動いているというのも、目に鱗である。しかも、その一神教の神様は実は同じ神様で、それぞれの宗教が対立しているのは、神様が違うからではなく、その神様の解釈や扱いが違うが故の対立である、とか・・・。
 まあ、識者から見れば、いろんな指摘はあるだろう。でも、世界の見方として、こうした四捨五入した大局的な視点は初めてである。

ファナックとインテルの戦略:両社の歴史をたどりながら技術戦略を考えさせられる

 インテルのマイコンが日本の電卓メーカーとの共同開発から誕生したことは、よく知られたエピソードである。だが、ファナックが16ビットマイコンの8086の初期のユーザーで、IBMが8088を採用する前に、大量に自社のコントローラに使っていたことを初めて知った。本書によれば、工場という劣悪な環境で使えるように品質向上したことが、後のIBMでのPCに使っても大きな品質トラブルにならなかった1つの要因だったらしい。
 今では、マイコンを使わずに設計するなんてあり得ないだろうと思うが、ファナックがNCにマイコンを使った当時は、そうではなかった。マイコンの能力が貧弱であったため、ハードウエアで組んだNCの方が切削精度や時間などで優れていたのだ。マイコンを使う利点は、小型化と低コスト化であった。性能よりも小型化・低コストが好まれたのは、日本の市場でNCの最大顧客が中小企業であったということである。米国では、NCの最大顧客は大企業であり、性能を望んだ。日本と米国の最大顧客の違いから、結果的にはマイコンを用いたNCが性能を向上させるにつれ、米国の市場も制覇することになった。米国のNCメーカーも日本のNCメーカーも、ともに顧客重視の戦略を取りながら、米国のNCメーカーは長期的には市場競争に敗れることになる。このエピソードは、技術戦略の難しさを考えさせられる。後知恵ではいくらでも解説できるが、その渦中にいる当事者にはわかるものではない。

トヨタ物語:トヨタの現場のDNAがすごい

 メーカーは現場が全てである。現場を知らずに、経営する経営者が登場すると、そのメーカーの業績は低下する。机上の空論など、メーカーにとって何の役にも立たないからである。この本は、トヨタの現場での歴史を追った貴重な本である。

Google誕生:草創期の発展がよくわかる

 2006年刊行の本なので、ネット企業の本を、発行から12年も経って読むことの意味があるのか、と思いながら、少しだけページをめくって、そのあと、一気に読んでしまった。ちょっとサクセスストーリーすぎるが、草創期の熱気と、目指していた姿がよくわかる。
 今のGoogleでは、会社が大きすぎて、こういう本は、もう書けないだろう、と思う。

東芝原子力敗戦:政府頼みの事業はいかに会社を腐敗させるか

 サラリーマンにとって怖い本である。私腹をこやすために不正に手を染めたのではない。出世欲という私欲はあったのだろうが、それは同時に会社のためになると思ったはずだ。
 この本は、いろんな側面で語ることが可能な本だろう。私は、政府頼みの事業が、会社の正常な判断を蝕んでしまう怖さを感じた。普通の感覚なら、絶対にしないような事業判断を、政府の後ろ盾があるのだから、ということで下してしまう。現場とは、完全にかい離されてしまった世界だ。
 今や、政府は大赤字である。はっきりいって、普通の企業なら倒産している状況だ。そんな経営しかできていない政府の言うことを聞いて、その政府の援助をあてにするなんて、民間企業の経営者としては失格だろう。現場で起きていることをはっきりと認識してほしいものである。

電機メーカーが消える日:各電機メーカーの位置づけはわかったが・・・

 会社が消える日と同じ著者だったので、読んだのだが、いろんな企業の話がつまっていて、少し表面的な感じをうけた。NTTと東電を頂点とする企業連合の絵は、非常にわかりやすい。
 SONYの出井元社長に対する評価は興味深かった。SONY凋落の戦犯として有名な経営者だが、創業者社長たちの後のサラリーマン社長という立場がSONYという会社のかじ取りを難しくしたという指摘は、うなずけるものがある。