益川流「のろしろ」思考:ノーベル賞受賞者の雑文集

 何かを学べる本ではない。中身ははっきり言って、雑多な文章の寄せ集めである。ノーベル賞受賞者だがらという目で見ると、そうか、と思うだけかも。
 1時間もあれば読めるし、益川さんの変人ぶりも味わえるという意味では、面白いかもしれない。

 

宇宙の眼:パラレルワールドの歪み具合がいかにもディックだ

 この小説を初めて読んだのは30年以上前になる。高校の図書館で借りた早川SF全集で読んだのである。久しぶりに再読してみて今でも読むに耐える内容であることにびっくりした。いわゆるパラレルワールドものなのであるが、そのパラレルワールドの世界の歪み具合が中途半端ではないのである。いかにもディックである。

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか:ブレードランナーとは異なる読後感

 映画ブレードランナーの原作として有名になり、同時に日本でディックの名前を有名にした本でもある。
 映画を先に見てしまったので、長い間、この小説の方は未読であった。読んでみて、確かに原作といえば原作だが、印象はかなり異なる。映像だけでは表現できない、ディックの世界があるのだ。読んでみてよかった。

 

道路の日本史: 道路の重要性がよくわかる

 道路といえばローマである。ローマの道路に関する本は多いが、日本の道路に関する本は読んだことがなかった。しかし道路というのは重要なインフラである。その歴史をたどるというのが本書である。類書があまりないので、本書で初めて知る内容も多い。
 律令時代に情報網として整備された七道駅路は、直線道路になっていて、その経路が後の高速道路計画の経路とよく似ていたことなど、興味深いエピソードもたっぷりである。

 

石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか?:1次エネルギーの重要性

 石油に関する豊富な話題が興味を引く。しかし、内容で最も重要なのは、石油、石炭、天然ガスなどの1次エネルギーの重要性である。日本のエネルギーに関する議論が、2次エネルギーである電力に偏りすぎている、という。確かに、発電所の話も重要だが、そもそも、その発電所を稼働させるにに必要な1次エネルギーが日本にほとんどない以上、これをどうするか、ということの方が重要だ。

 

プガジャの時代:大阪のある時代を思い出させる

 プガジャというのは、70年代から80年代にかけて、大阪で発行されていた情報誌の名前である。その当時、ちょうど私は社会人数年目までを大阪で暮らしていた。当時、情報誌としては、エルマガというのもあった。大学の生協には、プガジャもエルマガも平積みにされていた。
 私自身は、プガジャよりもエルマガ派であったので、プガジャそのものを購入したことはほとんどない。しかし、この本の魅力は、プガジャそのものを語るとともに、その時代の大阪のある部分を語っているところにある。70年代から80年代にかけて、若い時代を大阪で過ごしたことのある人にとって、懐かしさを感じる本でもある。

 

ロセアンナ:刑事マルティン・ベックの第1作の新しい翻訳

 刑事マルティン・ベックシリーズは、スウェーデンの作家による刑事物である。以前出ていた翻訳は、英語版からの翻訳だったが、これはスウェーデン語からの翻訳ということであり、全10作が順次、翻訳されるらしい。
 本作品は、その第1作なのだが、原作はなんと1965年の作品である。もちろん、アガサクリスティの作品のように、作品そのものは古くても、内容が古くならない作品もある。しかし、名探偵モノとは異なり、刑事物ははやりどうしても、時代の影響を受けてしまう。さすがに、1965年というのは古すぎる。

 

劉邦:項羽との年齢差が小さな劉邦

 私は司馬遼太郎のファンである。その司馬遼太郎の小説の中でも、最も何度も読み返しているのは項羽と劉邦である。その小説では、劉邦は項羽に比べてかなりの年齢として描かれている。
 ところが、この本では、劉邦は項羽よりも数歳年上なだけである、ということからスタートする。その考察の出だしから本書に引き込まれてしまった。本書は、歴史書であって、小説ではない。いくつかの説を丁寧に記述する部分もあり、私のように歴史の専門家ではない人間にとっては読みにくい部分も多い。
 だが、これが歴史書なのか、と思うくらい、劉邦などの登場人物の記述が、生き生きとしているのである。時代背景の説明とあわせて、確かにこうだったのかもしれない、と思わされてしまう。
 司馬遼太郎の項羽と劉邦を読んでから読むと、より興味深く読めると思う。